建築の歴史
台湾唯一の日本統治時代パイナップル缶詰産業建築

フルーツ王国・台湾、それを代表するフルーツの一つはパイナップルです。近年、台湾産パイナップルケーキは台湾を代表するお土産となっていますが、しかし恐らく多くの人は、第二次世界大戦後に台湾がパイナップル缶詰の生産量が世界一であったということを知らないでしょう。その始まりは日本統治時代に遡ります。パイナップルの主要産地は南部の鳳山・大樹一帯と中部の彰化・員林一帯であったため、パイナップル缶詰の生産もこの二つの地域から始まりました。一方、大樹地域は地理環境と気候がパイナップルの栽培に適するため、主要な生産地ともなりました。また、九曲堂は縦貫線鉄道に位置する駅で、かつては運送の便宜性のため、付近に11箇所のパイナップル缶詰工場が存在していましたが、日本統治時代のパイナップル缶詰産業の建築物として現存するのは泰芳商会第三・四工場の建物三棟のみとなりました。

泰芳商会は台北大稻埕出身の商人である葉金塗によって1918年に創設されました。葉金塗は日本人・岡村庄太郎が始めたパイナップル缶詰産業を継承した台湾商人の一人で、パイナップル缶詰産業によって富を得たため、「パイナップル王」と呼ばれていました。泰芳商会は台北及びパイナップルの産地である員林・大樹に工場六箇所を設置、第三・四工場は1925年に九曲堂に設立されました。第五工場は1930年、檨仔腳に設立され、第三・四工場が占める範囲は現在工場の西側に位置する「里活動中心」(公民館)及び南側の民家にまで及びましたが、現在は第二次世界大戦後に国軍自動車修理場 の社員寮として使用された三棟のみとなり、九曲新村と呼ばれ、改装が続けられました。2003年、住民がそろって九曲新村を離れ、2004年、歴史建築として登録された後、2017年に修復作業が完了して2018年8月から再び開放されることとなりました。

修復記錄
高雄市政府文化局は2015年12月より修復工事を開始し、2017年8月に竣工しました。主に骨組み・屋根・門・窓・地坪及び構造補強などの修復作業を行い、並行して水道・電気・夜間照明の整備及びトイレの新設などが行われました。
A棟修復前後クリック及びスワイプで修復状況をご覧いただけます。
 A棟修復前  A棟修復後
B棟修復前後クリック及びスワイプで修復状況をご覧いただけます。
B棟修復前 B棟修復後
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C棟修復前 C棟修復後
C棟修復前後クリック及びスワイプで修復状況をご覧いただけます。
C棟修復前 C棟修復後
北側塀修復前後クリック及びスワイプで修復状況をご覧いただけます。
北側圍牆修復前 北側圍牆修復後
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C棟修復前 C棟修復後
パイナップル工場修復前後クリック及びスワイプで修復状況をご覧いただけます。
鳳梨工場修復前 鳳梨工場修復後
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C棟修復前 C棟修復後